牡鹿半島支援活動 春合宿レポート

取材・文:内田伸一(ライター)


今回は、去る3月6日から8日にかけて行われた、アーキエイドの牡鹿合宿についてレポートします。




現場を知る:現地をおとずれ、状況を知る

宮城県・牡鹿半島の支援活動は、アーキエイドの活動の柱のひとつ。リアス式海岸に点在する約30の「浜」と呼ばれる集落の震災復興について、現地調査をもとに行政へ提案しています。2011年7月のワークショップ「サマーキャンプ “半島へ出よ”」では全国15の研究室、総勢110名が集結。各浜での調査や対話を通して、復興プランの提案を行いました。

その後も、各浜の高台移転を主とした居住区の再構築に向け、継続的な調査・提言・情報交換が行われてきました。そこでは活動の質と同様に、継続性が鍵になります。一方、この活動の主力となる学生たちにも、卒業や進級により、活動を次世代に手渡していくべき時期があります。今回の合宿の大きな目的は、2011年度から2012年度への移行に向けた活動の引き継ぎ、そして新規活動参加者が牡鹿の現状を把握することにありました。

今回集まったのは約50人。各チーム、昨年度から関わる者と新規メンバーとで参加しました。まずは、半島最大の集落「鮎川浜」で、石巻市牡鹿総合支所に木村富雄氏を訪ねました。木村さんは震災直後から物資担当として奮闘し、続けて瓦礫撤去および高台移転計画などの復興活動を担当。牡鹿各集落の再生プロセスを、行政と住民、また土木コンサルティング業者を含めたやりとりの中で進めていらっしゃいます。アーキエイドにとっては、現地調査や住民の方々との関係づくりに始まり、復興案の提言を受け取ってもらうに至るまで、常に協力を頂いてきた方です。

この日、木村さんは、新規参加者を含むアーキエイドのメンバーに、改めて牡鹿半島の現状をレクチャーして下さいました。震災直後の津波の状況に始まり、後の救助活動や瓦礫の撤去作業など。また、現在も避難生活を送る方々の新生活の場として、各浜で住居区の高台移転や災害公営住宅の計画が今年以降、具体的に始動するであろうことなど。今年、平成24年度を石巻の「復興元年」とすべく、各所で日々努力が続いています。

一方で、半島で見られる復興の芽についてもお話がありました。海では、生育期間が短く効率のよいワカメ養殖が各地で行われ、まもなく収穫のときを迎えます。今年は、3.11の一周忌を済ませてから収穫したいという方々も多いそうです。昨年11月には、鮎川浜に仮設商店街「おしかのれん街」もできました。ラーメン、お寿司、カフェなどの飲食店に加え、お土産屋なども営業しています。

アーキエイドについては「正常時であれば、こうした形で皆さんの助言を受けることはなかっただろうとも思う。しかしいまは非常事態。良いアドバイスがあればぜひお願いしたい」と、改めて協力し合っていくことを確認頂きました。「牡鹿の人はよく、海の恵みを“太平洋銀行”と呼んできました。いまは多くの漁師たちが船も道具もないけれど、必ず取り返す、そんな打たれ強い人々でもあるんです」との言葉も印象的でした。

その後は、多くの参加者が今回お世話になる「おしか家族旅行村オートキャンプ場」に移動し、学生参加者主体のオリエンテーションを開催。訪れる先の地域住民の方々への配慮や、専門家(またはその予備軍)としての心構え、引き継ぎの主旨などを確認し合いました。手づくりピザでの夕食では、各地の参加者同士での交流も自然と生まれていました。


足で地形を読む:踏査

実際の引き継ぎは、各チームにわかれ、担当する浜を訪問することで行われました。ここではそのうち、筑波大学の貝島桃代研究室と、東京工業大学の塚本由晴研究室の動きを紹介します。

貝島研では昨年度からの参加メンバーが、修士2年となった今年度も引き続き担当。そのため今回は、住居移転の候補地となっている2つの高台について現地踏査調査も行いました。荻浜小学校近くの候補地では、樹々の茂るなかを進み、図面だけではつかめない状況を確認します(この記事冒頭の写真)。道路や海からの距離、また地形の起伏や近くを流れる沢の様子など、地図と照らし合わせながら、留意点を書き込んでいきました。

海沿いのもうひとつ候補地、五十鈴神社に近い高台では、避難経路の検証を行います。造成時に避難経路となるであろう場所(現在はけもの道)に足を運び、実際の勾配から避難のしやすさなどを確認しました。加えて、敷地全体の段差の状況など、地図ではわからなかった点を確認し、現状案へフィードバックすべく記録しました。

なおここでは、塚本研究室のメンバーも貝島研の調査に同行しました。塚本研は昨年からのメンバー1名をリーダーに、今回初の牡鹿訪問となる新規参加者たちが集うチーム構成。彼らが担当する大谷川浜の方との面談までの時間を利用して、今後の参考のために貝島研の調査の情報を共有できました。


人を知り、生業を知る:暮らしと歴史のヒアリング

各浜を訪ねるにあたり、住民の方々への改めてのご挨拶と、ヒアリングも行われました。塚本研は彼らが担当する大谷川浜の区長さんを訪問しました。各浜には、地域のまとめ役である区長さんがいます。復興の主役である地域の声を活かした提言づくりに、区長さんたちの協力は欠かせません。津波被害の大きかった地域の成り立ちや実情を教えていただけることは、復興計画をまとめるにあたって、大変貴重な情報となります。

大谷川浜の区長さんとは、山合いの元中学校そばに施設された仮設住宅の集会場で面会しました。まずは昨年来の先輩メンバーが、研究室の新規参加者を区長さんへ紹介します。その上で、リサーチを兼ねた区長さんへのヒアリングを開始。航空写真による鮫浦湾全体の俯瞰図を囲み、津波直後の状況や、その前後の生活を伺います。大谷川浜は牡鹿半島の東側、太平洋側に面した鮫浦湾の奥に位置します。そのため湾の両サイドにある谷川浜、鮫浦に比べ海への視界もよく、津波の被害は大きかったものの、犠牲者の数は、少なかったそうです。

区長さんも船を持っていましたが、3.11は地上の勤務先で地震を体験されました。船を守るために沖に出すなどの措置は諦め、まずは身の安全を選んだそうです。高台移転候補地は、山側の土砂災害警戒区域に指定された箇所は避け、選定が進んでいます。湾内で潮の流れも活用して行われてきたホッキ貝の養殖など、今後の漁業復興も課題となっています。

面会の後半では、こうした状況の共有に加え、「大谷川浜らしさとは」といった質問もなされました。区長さんの見解は「やはり、湾の向こうの水平線から朝日が登る光景ですかね」というものでした。今後も長い道のりを経るであろう地域復興においては、喫緊の課題である造成・建築技術上の与件のみならず、そこに暮らす住民の方々が抱く地域イメージを知ることも、また大切になるでしょう。

一方、貝島研も、担当する桃浦の区長さんにご挨拶すべく、先ほど述べた神社のすぐ近くにあるご自宅を訪ねました。桃浦についてのヒアリングにもご協力いただき、海際に19世紀半ばから建つという五十鈴神社のお話から、遠洋漁業からカキ等の養殖へと移り変わっていった浜の歴史、また3年に一度開かれてきたお祭りのことまで、幅広い話を伺えました。また、桃浦の復興のありかたとして、例えば漁業学校のような後継者育成施設はどうかといったお話もあり、未来像のひとつとして新たなイメージが加わりました。

続けて貝島研は、月浦の区長さんを仮設住宅に訪ねました。浜がひとつひとつ個性を持つように、区長さんもまた、それぞれの浜の文化や事情を背負った存在。その土地特有の状況を共有させてもらうことが、適切な提言には必須となります。近況を報告し合い、新たな1年間のお付き合いを改めてお願いしました。


ともに時を過ごす:オリエンテーリング

今回の合宿ではオリエンテーリングの時間を設け、牡鹿名物・ワカメの収穫体験をさせてもらう機会もありました。教えてくださったのは、牡鹿で長年ワカメの養殖を手がける齋藤富嗣さん。会場となった鮎川港の広場では、刈りたての2m近いワカメが並び、解体作業を体験させていただきました。特に、先端の美しい「めかぶ」を切り取る作業は独特の難しさと同時に気持ち良さもあり、知らず知らずのうちに、参加者から笑顔がこぼれます。

この港も津波で壊滅的な打撃を受け、その爪痕はまだ鮮明に残っています。そのため初めて訪れた参加者には強い衝撃もあったかと思いますが、ふだん意識せずに享受している海の恵みのありがたさを実感すると同時に、その背景にある齋藤さんのような方々の努力を改めて知る時間でもありました。

その後、解体したワカメを集め、港近くの高台にあるアーキエイドの借家にて昼食。この借家はお隣に済む阿部氏のご厚意で、使われていなかった建物をお借りしているものです。今回も数チームが、合宿場所としてこの建物を使わせてもらっています。鍋いっぱいに湧かしたお湯に新鮮なワカメを入れると、あっと言う間に鮮やかな緑色が浮き出てきます。そばつゆをちょっとかけると美味しいですが、そのままでも海水の塩味が天然の調味料に。地元の海の幸で元気をいただきました。

また合宿2日の夕方には、再度、鮎川浜の借家に皆で集まりました。借家の主、阿部さん宅前の広場を使わせて頂き、牡鹿住民の方も招いてのオープンディナー。福貴浦浜の方が提供してくれた新鮮な牡蠣を使ったバーベキューです。牡鹿の復興に意欲的な地元「牡鹿モータース」の大澤氏や、ワカメ解体体験でお世話になった齋藤さんもいらしてくれました。大澤さんが震災直後、自宅を避難所的に開放して近隣の方300人を迎えたお話や、牡鹿を盛り上げようと進めるお祭り「がんばってっちゃ牡鹿」についても伺えました。お開きの挨拶には、場所を提供して下さった阿部さんご夫婦からも暖かい言葉を頂きました。


アーキエイド的「復興元年」に向けて

最終日となる3日目は引き続き、各研究室が担当する浜を調査しました。高台移転の候補地にまつわる各調整事項の推移程度によっても、各チームの行動はさまざまです。今後、候補地が決まった浜においては、災害公営住宅の形態や利用条件、またそれと別個に建てられる新築住宅の敷地のありようなど、より具体的な暮らしの条件が討議されます。有機的なつながりの中で住戸がどう機能するかも適切な検討がなされるべきでしょう。

前述の通り、約30の浜は立地も成り立ちもさまざまで、それは住民の人口や職種、年齢構成においても同様です。鮎川浜のように町として機能してきた場所もあれば、数戸のみの集落もあります。東端にある寄磯浜のように、猛々しい空中楼閣を思わせる急斜面上の集落もあれば、西の狐崎浜のように穏やかな風景を持つ場所もあるのです。

今回の合宿では、こうした多様な浜のありかたを、またそれぞれが受けた爪痕と復興への課題を知る機会を得ました。建築設計に同じ与件が2つとないように、浜の復興にも、その地域に適したアプローチがあるはずです。復興へのスピード感がより求められる今、克服すべき課題は多く、考案も実施も簡単ではありません。それでも提言を続け、地域や行政と関わり続けることで改善できるものがある限り、この活動は続いていく予定です。

また、その中でアーキエイド側が逆に持ち帰るものがあることも、常に忘れずにいたいことです。災害の猛威の中でも懸命に生きる住民のみなさんが見せてくれる笑顔。彼らを支えてきた自然の恵みの力や、紋きり型の「文化」という言葉では伝えにくい、有形・無形の営み。そして、ここで起きていることが別の場所でまた起きないとはいえない現実に、我々はどう対峙していくべきか。こうしたことにも思いが及んだ、3日間の滞在でした。

今回の記事は、ライターの内田伸一さんにご協力いただきました。


内田 伸一 Shinichi Uchida(ライター・編集者)
1971年、福島県いわき市生まれ、沖縄育ち。東京在住。岩手大学人文科 学部人文科学科(行動科学研究)卒業。若手建築家たちによる雑誌『A』、英国発 カルチャー誌の日本版『Dazed & Confused Japan』、カルチャーウェブサイト 『REALTOKYO』などに参加。日英バイリンガルの現代美術誌/ウェブサイト『ART iT』で副編集長を務めた後、現在フリーランス。 http://www.shinichiuchida.com/

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