【レポート】東日本大震災に関する修士研究論文/制作合同発表会

 アーキエイド半島支援勉強会において、東日本大震災に関する修士研究論文制作の合同発表会が4月20日に法政大学で行われましたので報告をします。アーキエイド半島支援勉強会に関連した修士研究は全部で8つあり、発表会ではこれらの展示と、口頭発表会が行われました。口頭発表者は、東北工業大学の伊藤寿幸氏、神戸大学の押谷崇之氏、東京工業大学の河西孝平氏、筑波大学の佐藤布武氏、東京工業大学の高橋浩人氏でした。水産庁の正岡克洋氏、法政大学の岡本哲志氏、東北大学の小野田泰明氏をゲストに迎え、筑波大学の貝島桃代氏が司会をつとめました。(開催概要はこちらをご覧ください:http://archiaid.org/projects/pj0018/5495

■開会の言葉
 初めに、貝島氏から開会の言葉がありました。昨年度は多くの学生が牡鹿を対象に修士論文や制作を進めてきました。アーキエイドの主旨のなかに、復興に関する研究と教育があり、今回の発表会の主旨は、こうした研究に取り組んだ学生の提案から復興の取り組みを議論し、実践とともに、研究・教育において、さまざまな可能性を共有したいとのことでした。
 次に総合資格学院つくば校の石川氏から、本日の提案をしっかり聞き、是非後輩の学生さんたちも今後の支援にも繋げていってほしいとの挨拶がありました。
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■修士論文制作発表
それでは、ここから修士研究論文制作の発表会に入ります。

 1番目の発表者は、平成24 年度に東北工業大学大学院工学研究科建築学専攻を修了した伊藤寿幸氏です。タイトルは『 海となりわいを育てる空間 – 地域産業とかかわる牡鹿半島の漁業集落および関連施設の研究と設計 -』です。以下、発表内容を簡潔に記載します。

 漁業集落の基幹産業である水産業が抱える問題点の調査、及び津波被害をうけた集落と高台移転を含めた集落設計と生業を再生させるための施設の設計を行いました。まちづくりの主要な部分を占める漁業の再生として生産・活動の場の再生が必要であるとの考えのもと調査を行った結果、現在の漁業と漁村において、流通と資源に課題を見つけました。
 そこで本提案では、プログラムとして漁師が直接消費者と関わる仕組みと、適正な資源管理を漁師個人が行う教育の仕組みを考えました。また、設計では牡鹿半島の小網倉浜の高台移転先と浜との中山間地を敷地に設定しました。地域の記憶を持つ敷地にそって配置すること、漁業の作業と連動するよう施設を作ること、入り組んだ浜や周囲の山と調和するデザインとすることの3つをコンセプトとし、インフォメーションセンター、漁業学校、宿泊棟を設計しました。
 
以下、質疑応答の内容です。
福屋粧子:具体的には何があり、どこで何が行われるのですか。
伊藤:浜で行われる行為(漁業体験・インターン)を施設の前庭で行い、外側の行為の延長を中庭で行い施設内部に繋ぎます。中庭ではお正月行事などのイベントが行われ、日常は集会などを行う場所です。庭と連動するように集会施設を設け、土間を通じ一体的に繋がるよう考えて設計しました。
岡本:浜の住人と新しく作る施設の利用者との関係はどのようになっており、利用者はどこから来るのでしょうか。
伊藤:現在計画されているカキ処理場を中心に作業小屋などを建て、主には浜の外からくる人が利用し、浜の資源管理についての補習、教習を行います。
門脇耕三:木造平屋の初期投資は誰が払うのでしょうか。
伊藤:漁協が管理することを想定しています。
門脇:タイムラインをしっかり設定し、未来に向けてのロードマップを示せると既存集落とより密接な関係が築けると思います。
正岡:着眼点としては良いです。ただし、こうしたプロジェクトを実行するには漁協にとってリスクもあります。実現には漁業者と町の意識が歩み寄ることが必要です。
小野田:漁村がもともと持っている構造の中で、この設計があることによって近現代漁業が抱える問題点をどう解決できるかを発表した方が良いのではないでしょうか。
貝島:さまざまな人が交流できる外部空間を多く設けているのがこの提案の重要な部分だと思います。それを理解してもらうためには、パースに人やモノなど、使い方をイメージできるような要素を書き込むなど、工夫が必要でしょう。
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 2番目の発表者は、平成24 年度に神戸大学大学院工学研究科博士課程前期を修了した押谷崇之氏です。タイトルは『浜における二つの生活 – 牡鹿半島十八成浜再生のための滞在型プロジェクト-』です。以下、発表内容を簡潔に記載します。

 漁業を生業とせず、半島唯一の砂浜である十八成浜を持つ十八成浜集落は、その美しい砂浜を観光資源としていました。しかし、震災後砂浜は消失し、観光資源を失ってしまいました。そこで本提案では牡鹿半島全体の観光地化が重要であるという考えのもと、十八成浜を敷地とし、穏やかな砂浜の景観を活かした滞在施設の設計を行いました。住民の生活を脅かさず対等な関係を築けるよう砂浜を挟んだ向かいの場所に、出来る限り景観を壊さないよう地形に沿った造成と小さなボリュームの分散を提案しています。歩道と階段を通した上で滞在施設と公共施設を配置し、豊かなシークエンスを意識しながら単独型と連結型を取り入れ設計しました。

以下、質疑応答の内容です。
貝島:実際の集落では道と集落のでき方に前後関係があると考えます。設計ではなぜ道を作ってから建物を作るという順序を踏んだのですか。
押谷:先に住戸を設計してしまうと道を通しにくいと考え、散策路のように道を楽しめることを意識しつつ先に道を通しました。
岡本:既存住民と新施設の利用者の相互の関係はどうなっているのですか。
押谷:住民と距離が近くなりすぎないように、かつ視覚的には繋がるよう考慮しました。
キドサキナギサ:押谷君の修士設計を同じ大学の教員としてみてきた立場から、この提案について補足説明します。漁業を生業としていない住民のため、魅力のある街づくりをし、リゾートとして展開できることを考え施設の提案を行いました。
小野田:既存の神社の軸線との関係や階段による新しい軸線の意図が共有できると良かったのではないでしょうか。
正岡:観光客数や施設規模など、データ的裏付けなどがあれば計画の実現性が出ると思います。
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 3番目の発表者は、平成24年度に東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻を修了した河西孝平氏です。タイトルは、『谷川浜復興計画 – 農林漁業の融合よる漁村集落の地域再生モデル – 』です。以下、発表内容を簡潔に紹介します。

 谷川浜は漁業・農業・林業を融合させた自律性の高い生活様式を持っていましたが、津波により元の生活はすべて流されてしまいました。そこで本提案では一ヶ月の漁業インターンにより得られた浜の生活を手がかりに復興計画を行いました。漁村集落特有の空間を作り出す77のパターンを抽出し、標高による空間的配置と浜の連動のリズムに対応した時間的配置によりマッピングを行いました。生業の共同性が集中する点を配置し、それらにパタン・ランゲージを適応させつなぎ合わせることで浜の共同性を喚起します。集落の新たな復興法を構築し、復興事業により変化を余儀なくされる浜の生業と復興される街を地域固有の空間的要素と、その連環の展開によって繋ぎ止める自律性のある地域復興モデルを提案します。

以下、質疑応答の内容です。
岡本:全体の歴史を掘り起こしながら生活しているものをプロットしているのはよく分かったが、そういうものを組み合わせる意義を説明してください。
河西:その場所でしか出来ないイベントなどの「主たるシークエンス」を、生業で必然に生まれる動線を意識して配置し、人口の少ない街でも賑やかさを演出できるよう考えました。
門脇:パースの1枚の中に20人〜30人の住人がいるが実際こういう状況があり得るのですか。
河西:仕事や生活を調査しました。谷川浜では人数は少ないですが、さまざまな生業を共同で行います。パースに表現されている賑わいは、実際に起こりうる光景と考えます。
門脇:こうした共同的な行動を強制する空間は排他的になりやすいことも危惧されます。こうした空間を開き、外部のひとと共有していくか、この提案ではそうしたデザインの必要性について気づかされました。
正岡:河西君の1ヶ月の漁業インターン経験が魅力的な計画につながっていますね。
岡本:集落の空間をエレメントに分け、それを再配置するストーリーは素晴らしいが、もっとそれぞれを関連づけることも必要な気がしました。
河西:この提案では、高台と低平地を横断的に住みこなす谷川浜の生活をイメージし、生業の生産性を上げることも考え、切り分けることを考えています。
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 4番目の発表者は、平成24 年度に筑波大学大学院人間総合科学研究科博士前期課程を修了した佐藤布武氏です。タイトルは『三陸沿岸漁村の民家にみる共同性-牡鹿半島侍浜集落を事例として-』です。以下、発表内容を簡潔に記載します。

 集落空間の構成は、生業、気候、自然災害等への対策と適応の集積の結果です。これまでの津波被害に対しても、共同体が集落を支え復興してきました。今後の復興計画において現代に適した漁村での共同体の場のあり方を探る必要があると考え、漁村における空間的特徴の変化を調査し、空間から見た共同性のあり方を見出すことを本研究の目的としました。牡鹿半島の中でも伝統的な集落であり、東日本大震災による津波被害が比較的小さく、住宅群として居住が続いた侍浜集落を対象地とし、既往研究や文献調査、ヒアリングを行いました。調査で得た情報を元に作成したアクソメ図から集落空間構成の変遷をとらえ分析しました。その結果、浜・家周り・山林という3つの場所ごとに共同利用のある空間の存在と、その地域の文化、伝統、土地利用の仕方を見出しました。そして、それらの共同性を時代毎に分析すると、①地理的条件による共同性、②日常的なもの、③非日常的なものという3つに分類でき、この地域において民家内に集落住民で使う空間を備える重要性を見出しました。

以下、質疑応答の内容です。
岡本:2つの沢には違いがありますか?
佐藤:東側は自然の沢であり、西側は人工の沢です。西側のほうが永く住む家が多いことから考えると、集落内で安全な場所とリスクのある場所があると考えられます。また集落の繋がりは、東と西で分かれるのではなく、東西をつなぐ道によって成立しています。
岡本:他の漁村の事例だとオカミとザシキとでは異なり、ザシキは家人に近い空間であり、同質に共同的な空間とすることに違和感があるが。
佐藤:侍浜の場合、オカミとザシキは獅子舞や宴会など古来の利用のされ方があり、日常では使われません。客人があると泊めることはあります。
正岡:歴史的な背景について勉強になりました。
佐藤:津波で、船や漁具が流されるため、津波の前後で水産の方法に変化が現れる傾向にあります。
小野田:津波によって人口や構法の変化はありましたか。
佐藤:津波によって、低地に住んでいた家が集落を離れたり、高台に移転したりすることがあります。集落において林業を営んでいた家がありましたが、この家では山の木を使って住宅を建設していました。それ以外の家はこの林業者に頭を下げて木を分けてもらっていました。近代に入り、渡波などから大工や建設資材がはいってくるようになると、こうした風習が失われています。
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 最後の発表者は、平成24 年度に東京工業大学大学院理工学研究科建築学専攻を修了した高橋浩人氏です。タイトルは『震災復興を契機とした集約型漁村地域再生モデル-宮城県牡鹿半島をケーススタディとして-』です。以下、発表内容を簡潔に記載します。

 浜ごとにかかる高台移転のコストは高額であり、人口減少が避けられない本震災においてはすべての集落を長期的に維持することに多くの困難を伴うと考えられます。集落の活気を取り戻し、生業を持続するためには、分散した集落の人口や資本の集約に向けた、大々的な再生モデルの構築が必要であると考えました。そこで本研究では20世紀後半の復興計画の骨格となっていた6つの理念を抜粋し、その反省から依拠すべき集約型漁村地域再生モデルの理念を定めます。本計画は寄磯浜を敷地に設定し、人口減少、高齢化を背景として災害前のコミュニティを維持しながらより大きな単位での復興計画を行います。地域一律の復旧を原則としていた従来の計画を見直し、交流人口の拡大と文化的景観の継承をしながら、柔軟に地域の変化に対応します。また、地域ごとの復旧ではなく、複数地域の居住地集約を単位とするために、漁村集約化チャートを作成し、集約型再生モデルの提案を行います。

以下、質疑応答の内容です。
小野田:集約化の議論はありますが、感情的な問題や文化の対立を考慮すると実現は難しいと言われています。これに対して高橋さんもあえて集約型を考えているのですか。
高橋:互いをライバル視する浜を目にし、浜の持続を考えた際、集約化を考えるきっかけを作れればと考え、この計画をしました。
岡本:漁村集落は古くから高齢社会であるが、それでも新しい血が入り循環してきました。近代に入り、漁業が発展したことで、漁村集落の血が固定してきたのは最近です。固定化をどう解決するかが先だと考えます。また、神社と船の話が全ての発表に出て来なかったのが気になります。
高橋:地域全体の復興を考えてきたので、集落の話については少しドライになっていたかもしれません。
土岐:この計画以外の方法で集約することは考えましたか。
高橋:一つの湾が漁業を共有するきっかけになると考え、今回は漁港の大きさ、高齢化率、集落ごとの近さで集約の対象地を選びました。
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■後輩にむけて
発表後、それぞれの発表者から後輩へ向けてアドバイスがありました。
伊藤:行政と住民の中間にアーキエイドの立場はあり、これを前提に活動してきました。後輩にはその両者の中間をうまくみつけて、頑張ってほしいです。
押谷:復興から2年を経て、アーキエイドの活動も刻々と変化してきています。自分たちがおこなった研究も、翌年には有効でなくなっているかもしれない。復興に関する研究では、全体の流れの中でその時必要とされる研究テーマを考えていくことが求められていると思います。
佐藤:論文も制作も、現地に入って行うことが大切です。牡鹿には海、山などの資源や、空き家、神社などさまざまな要素があり、修士設計や論文ではそういった要素をうまく見つけていってほしいです。
河西:設計をしたくて研究室に入りましたが、震災によって、研究室も自由に設計だけに専念できる環境ではなくなりました。しかし、どんな事でも本気でやり続けることで面白さは見つけられ、タフな人材になることができると思います。
高橋:研究室に入ると思いがけない仕事が入ってきます。新しく始まる仕事や自分の興味などを大切にして研究や論文を進めていってほしいです。
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■全体講評
最後に、小野田氏、岡本氏、正岡氏から全体講評をいただきました。
小野田:数年後、街が復興した頃には、学生のみなさんが関わった場所はきっと他の場所とは違うはずです。また、震災復興のなかで、世の中の矛盾を一心に背負いながら解決策を導き出そうと努力した皆さんと、それを経験しなかった学生さんとでは、10年後相当差が出ると考えます。あの苦労は正しかったと将来考えるときがくるのではないかと思います。
岡本:震災によって、学生が現実と理想の板挟みの中で設計や研究をしているという特殊な状況があることが理解できました。それゆえにそれぞれの設計や研究に緊張感があり、それらを共有できた事は有意義でした。
正岡:行政ではすでに実績のあることは進めやすく、そうしたことから規制概念にとらわれがちです。そうしたなかで、今回の発表では、多くの学生の自由な発想にふれることができ、新鮮でした。こうした提案を実現するためにも、法律や制度なども時代に合わせて変化する事が求められていると感じました。

■ 閉会の言葉
 最後に門脇氏から閉会の言葉がありました。以下にまとめます。
 大学の研究や教育はこれまで、社会に対して傍観者でした。しかし東日本大震災以降、傍観者でいられなくなり、皆さんの研究のあり方も変わってきました。研究や設計を進める上では、研究の成果をどこの誰に渡すかをきちんと考えて論文を書き、提案がどれほどの実効性を持つのかを冷静に分析し設計を行う必要があります。デザイン的な要素を含む論文と分析的な要素を含む設計は、かなり密接に関わり合っているのが今後の研究のあり方であり、本日の発表は今後の研究のモデルになると考えます。それは研究者だけでなく建築家のあり方にも通ずるはずです。

 今回の発表会は、各学生が修士制作や論文という媒体を通し、牡鹿半島の浜やそこに住む人々に、自分たちが出来ることで貢献したいという真意が伝わってくるものとなりました。今後も、このような場を設けることで、牡鹿半島の情報や学生の提案を発信していけたらと思います。以上で東日本大震災に関する修士研究論文制作の合同発表会の報告を終わります。


筑波大学人間総合科学研究科博士前期課程 貝島桃代研究室
井上 大志

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