2011年5月2・3日、 釜石市、石巻市の小漁村を中心にまわりました

京都工芸繊維大学の長坂大です。2011年5月2・3日、 釜石市、石巻市の小漁村を中心に視察してきました。
小漁村を中心に視察した理由は、かつて私の研究対象が、リアス式海岸に位置する斜面の漁村集落の空間構成についてであったからです。90年代に、紀伊半島、若狭湾、越前海岸の漁村集落はほぼすべて見てまわりました。三陸海岸へは行ったことがありませんでしたが、入り組んだ海岸線に点在する漁村がどのようなたたずまいになっているのか、概ね想像することができました。そこに起きたことを知らなくてはと感じましたが、テレビ映像では、大きな街の被害状況は報道されても、小さな村の報道はほとんどありません。そのことも、現地を見なくてはならないという意識を強くした理由だったように思います。
漁村集落の研究活動をしていて現在も大学に属し、なおかつ建築家と称していて、何もしないわけにはいかないだろうと感じていましたが、そもそも地震がなくても過疎化等の問題を抱えている場所に対して安易な発言は慎むべきであろうという思いもありました。自分にできることがあるのかどうかわからないというのも正直な気分です。
しかし、都市や建築の未来について考えることを職能としている以上、即効性がなくても、今はとにかく何か発言をすべきだろうと思うようになりました。
● 訪問先
5.2 
釜石市/ 釜石 両石町両石 鵜住居町根浜 箱崎町箱崎 箱崎町箱崎白浜 唐丹町本郷 唐丹町花露辺 唐丹町小白浜    
陸前高田市
5.3 
仙台市若林地区
石巻市雄勝町/ 雄勝 明神 小島 大浜 立浜 桑浜 熊沢 大須 船越 水浜

グーグルマップで見ている限り、半島の先の小さな漁村まですべてが全滅だったわけではなく、損失戸数が小さかったところもあることがわかっていました。だとすれば、立地条件等によって、被害がどのように違っていたかを見なくてはいけないとも感じました。一般報道の気分はやはり、今回の津波がいかにすごかったかというベクトルに支配されていましたから。

さて、実際に拝見して知ったこと、考えたことをいくつかお知らせしたいと思います。
近畿圏の漁村に比べると、平均すれば漁業占有率はかなり高く、そのために、大きな街に比べれば、家屋の損壊率に比して人命の損失は少なかったようです。(お話を聴いた方はわずかでしたが。)漁業に携わっている暮らす人々は海に対する生活距離が近く、津波に対する意識が日本の平均的市民に比べてはるかに高いからです。

場所によって被害の差が大きいこともわかりました。あたり前ですが、海沿いであっても急斜面の地形では、港湾施設と海に近い家以外は地盤高さに守られ、被災を免れていました。地震そのものによる家屋の倒壊はほとんどなく、地盤高さがはっきりと命運を分けています。

釜石市唐丹町花露辺(けろべ)の場合。(ヒアリングによる)
かつて85世帯程度だった集落は現在過疎化などで63世帯。そのうちの60世帯が漁業従事者で残りの3戸が役所勤め。
今回の津波で12住戸が崩壊、ワカメの加工などに使っていた漁業関連建物10戸が失われ、港は地盤沈下しています。斜面地形のため、海岸に近い場所以外の建物は目立つ外傷がありません。
体が弱かった方が一人亡くなられましたが、あとは全員山に避難して無事でした。花露辺のように全壊住戸が少なければ、残った家屋による最低限の救済活動が可能です。過疎であるならそれが幸いして、空き家を仮住まいに使える可能性もあるでしょう。

このような状況を拝見して、誤解を恐れず申し上げますと、災害に対する被害には一定のムラがあるのが自然であり、都市はむしろそのように計画すべきなのではないかと感じました。少ない論理で短期間につくられた都市は、そこで営まれる日常生活が味気ないだけでなく多様な災害に適応できないのではないでしょうか。これは生物多様性の意味を論ずるのと同じであるような気がしてなりません。

半島の先の集落は、災害直後本当に陸の孤島であったと推察します。そこに至る幹線道路が途中海岸沿いの集落内を通る形式だと、その路面を倒壊家屋やガレキが覆ってしまうからです。
雄勝半島の場合、半島根元の道路はこのような形式でしたが、先端部道路は標高の高い場所にあって、各集落へは個別に降りる形式になっていて、津波の影響はありませんでした。
道路をどこにどのように設けるかという課題は、今回のような災害対策だけでなく、地形条件、日常生活や景観問題、物流機能そして建設コスト等に関係します。そもそも、道路の位置によって各集落の配置計画は決定的な影響を受けることになります。今更大きな変更はできないでしょうが、変更のチャンスがある場合はそうした観点から十分な検討を重ねるべきでしょう。

津波による構築物の被害状況
1 建物/海際に建っている建物でも、鉄骨フレームだけは残っています。衝突物がなければ変形もかなり少なかったでしょう。
衝突物は、船舶、家屋、自動車、コンテナ、電柱、樹木、その他です。
2 擁壁/山の斜面を守る大型擁壁、各種コンクリート被覆は、かなり高い確率で津波に耐えていました。ほぼ無傷のものも少なくありません。完全に残っている大きな擁壁の前で、木造住宅が壊滅している状況を目の当たりにすると、きちんとつくられていてよかったと思う反面、あらためて建設に関する制度設定、予算配分はこれでいいのかという疑問も湧きました。どちらも豊かで安全な市民生活ための構築物であるはずです。完全に残っている擁壁の強度を、もう少し住宅や他の施設と共有してもいいのではないでしょうか。土木と建築の望ましい共同設計体制に関する意識が必要かと思います。
3 地表面/地肌に雑草があるという程度の土手状斜面で、その表土があまり流されていないことに驚きました。一定の期間風雪に耐えた大地の強度を確認したように思います。
4 木造家屋/土台を残して上部が流される例が大半ですが、土台まで流されている例も少なくありませんでした。一例ですがベタ基礎ごと地面からはがされている例には驚きました。
逆に津波の高さが屋根高さを超えていたにもかかわらず、屋根瓦の乱れもほとんどなく破壊されずによく残っている家屋も何軒かありました。津波前の周辺状況がわからないこともあり、理由がわかりませんでしたが、こういう例についてはもう少し調査の必要性を感じました。   

視察報告は以上です。
今後これらの漁村の復興はどうしたらいいのか容易ではありませんが、まず私のできることは、建築計画・都市計画の分野において、これらのような小さな漁村を対象としたメニューを増やすことだと思いました。
少なくとも私たちが日頃の設計活動や教育活動の場で考えている建築や都市のメニューは、これら漁村にある建築や配置計画に関するメニューの数に比べて非常に多いのです。しかし、集合住宅や商業施設、公共施設など、一見大きな都市にしか必要がないと思われるような建築のメニューも、実は小さなまちでも規模が異なるだけで、考え方や形式は十分選択可能なメニューです。
今回のような災害があった時には、そうした現代の選択可能なメニューを、個別の場所に合わせて提示することが求められているのではないでしょうか。
小漁村を対象とした時には、そこにかかってくる条件の重さが、大都市とは決定的に違うことは考慮しなくてはいけません。繰り返しますが、大小の都市では、そうした条件の種類が違うのではなく、その重要性のバランスが違うのです。

長々となってしまいましたが、以下、現在考えている再生計画のための基本方針を少し書いて、今回の報告を終わります。

1 土木と建築の制度的な枠にとらわれず、市民のためにバランスの取れた環境を構築するようにする。
2 具体的には、たとえば津波から集落を守るために新しい防波堤等の予算を組もうとしている場合、その一部を、住宅や供用施設をRC造又はS造にすることにまわした方が有効かどうかを検討する。
3 津波にまともに対抗しない。
4 津波の一定の侵入は覚悟し、ガラスや建具の破壊も受け入れるが、主要構造体は大きく壊れず、一定のコストで直せば使えるような建築物を提案する。
5 津波が来れば適切なタイミングで避難してもらうことが大前提だが、その避難経路は日常生活の中でも自然に使われながら認識されるような内容とする。 

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