震災から約2ヶ月後の岩手県釜石市

[視察者]平井百香(東北大学修士1年、仙台市在住)
[視察日]2011/05/04~2011/05/07
[視察地域]岩手県釜石市
[視察目的]ワークショップ、ボランティア
3月11日の震災から2ヶ月が経過しようとしていたゴールデンウィーク、津波被害に襲われた釜石市中心市街地のメインストリート「青葉通り」では、仮設店舗の出店や、ライブパフォーマンスなど、さまざまな復興イベントが行われていた。復興イベントと足並みを揃えるように、釜石復興に向けた市民の思いを引き出し、復興への一歩をともに歩もうと市民主体で釜石の未来を語り合う「まずやっぺし・わーくしょっぷ」(まずやっぺし=方言で「とにかく行動しよう」)が開かれた。釜石市復興プロジェクトから支援協力の依頼を受けた東北大学教授・小野田泰明氏が、建築家・伊東豊雄氏、工学院大学・遠藤新氏(都市計画)をモデレーターとして市民との対話を展開した。会場は「青葉通り」に面する「青葉ビル」。元々は「中心市街地におけるにぎわいの創出」、「まちなか居住の推進」を目的として建てられた複合ビルで、集合住宅、子育て支援施設、コミュニティセンターが入居するなど、さまざまな世代が訪れる交流拠点だった。津波被害によりガラスが割れ、内部空間も浸水被害にあっているが、被害の爪痕が生々しく残る中心市街地の真ん中から釜石の復興への一歩を踏み出そうと、敢えてこの場が選ばれた。

ワークショップの会場は参加者50人ほどで満杯。建物内外に溢れるほどの立ち見の参加者もいた。まず小野田氏から、釜石の未来に向けてこの場に集まることの意味について話があり、続いて遠藤氏の進行により、伊東氏を交えた市民による対話が始まった。

まず参加者が地震・津波発生から2ヶ月間の生活や復興に向けたそれぞれの活動について発表。漁業や製造業など生活の営みをどこでどのように立て直すのか、また沿岸部と内陸部で大きく異なる被災状況がもたらす市内の地域間格差をどう埋めるかなど、市民が現在直面している困難、これから直面するであろう困難が、さまざまな立場から語られた。商店街会長の小田島圭司氏からは「カキと潮の香りを活かし、日本のマルセイユになりたい」というビジョンが語られるなど会場が大いに盛り上がる瞬間も幾度となく訪れた。人が残りたい、戻ってきたいと思えるようなまちをみんなでつくっていきたいという思いに対して、伊東氏は「まちなかに市民にとってのリビングルームとなる拠点をつくっていくのはどうか。このワークショップのように、思いを共有したり、意見をぶつけ合わせたりする場を市街地や避難所、仮設住宅などいろいろなところに点在させていくことで復興への思いを場所に定着させていけるきっかけになる」という提案がなされた。これには「住む人がやすらげる街にしたい。それがないと、どこにでもある街になってしまう」と、会場の方も賛同していた。

また、津波により大きな被害を受けたものの震災直後は避難所として近所の人びとと支え合う生活を送ってきた宝来館の岩崎昭子女将からは、「ここ(釜石)だからこそ頑張れる、釜石に残ってかならず立て直す」という力強い意見もあった。

市街地の沿岸部は電気、下水といった生活インフラが未だ復旧していない状況だが、今回の青葉通りでのイベントのように、街に戻ろうとする人たちの気概が見え始めているように感じられた。次回は6月11日・12日に伊東塾メンバーと市民の方々がワークショップを行い、どんな街をつくっていくか具体的に検討していく。

 

今回のワークショップの主な参加者の方々

魚市場の原田祐吉さん、商店街会長の小田島圭司さん、社会法人青年会理事長の佐藤健さん、宝来館女将の岩崎昭子さん、PTA連合会事務局長の菊池亜紀子さん、NPOサポートセンター事務局長の川原康信さん。

 

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