失われたモノがなにか、 、 。 震災後の現地での支援活動報告1

[支援活動日] 2011/04/14〜04/23  

[活動記録者] 斉藤力 

[活動者]   斉藤力 高屋工務店チーム 建築工房零義援隊

-このレポートの前に-

 建築設計に携わり環境や社会、人との繋がりを冷静に受け止めて判断して仕事をしてきました。その中で今回の東日本大震災が起き、冷静ではいられず震災地に飛び出していきました。その結果建築家からの視点や判断からは少し冷静さを失った表現がでてしまう事をお許しください。この活動は建築家として行うべき初動ではないかもしれません。しかし復興に向けて<失われたモノがなにか。>をきちんと現場で見極め、現地での被災された方々と交流をしていく事は、建築家として復興を考えて行く以上はまず重要な一歩であると信じています。現場の目線でレポートしたいと思っています。

-4月14日〜宮城県石巻市にて- 

 潮の香りとは到底呼べず、日常の街の匂いは消え、泥とナマモノの混沌とした臭いと瓦礫の山。行き交う人は今ではなく、昨日に思いを巡らし目を合わさない。そこに立っていると無力さだけが残ってしまう。

 震災後、関西の高屋工務店高屋氏のかけ声のもと全国から職人さんが集まり、石巻市錦町を拠点とた周辺住宅の設備の臨時復旧や瓦礫出し、泥出し、なんでも、を支援対象として活動していました。石巻では津波が内陸に10kmもの距離で押し寄せてきて、周辺住宅の損壊が著しくない場所でも1階は1mほど浸水しています。そのため電気が2階では使えますが1階の主要な設備関係はすべて使えない状態ですので設備業者はその復旧を、私のように設計の立場で役立たずは職人さんの手元や瓦礫撤去をしてきました。被災された方々は作業後に涙ながら感謝の旨を言っていただき、同時に近所の人の安否や、実際どのようにして津波が来たのか逃げたのかなど、事細かく説明してくれました。建築設計を仕事にしていれば少なからずその家族の内側に入り込む事があると思いますが、生死の境を昨日今日感じている人達の内側には入れません。作業する中でどのような関係性を持つ事が重要なのか、どう応えていくべきか自問自答の中での作業でした。

      (詳細活動はhttp://www.facebook.com/JishiShien?sk=wall こちらをご覧下さい。)

      

     石巻市内の様子                        復旧作業中の様子

 数日が経ち、僕らの事を知ってくさった方々に声をかけていただく場面が多く、私はしばらく話相手というポジションになりました。被災された方々が誰でもいいから話たい!と自分の失った部分をなんとか埋めたいとバランスを保っているのだと思います。

 昔からのコミュニティがまだ存在している地域での被災された方々は、行政の対応の不確実さや不満を述べてるだけでなく、頑張って私達の場所を蘇らせたいと前向きな言葉が多いです。活動しているとあちこちから人が出て来て、誰がまだ見つからない、隣も直してくれなど、そこにはお隣近所のコミュニティーの意識の高さが伺えます。これが都心での震災だったらと思うとこのようにはいきません。被害もさらに大きかったでしょう。

-4月18日 宮城県石巻市双葉町にて-

 この日は復旧を職人さん達に任せ、山口県からボランティアで来た大工さん二人とともに、仙台に拠点を持つ建築工房零さんのボランティアチームに参加しました。建築工房零さんはみなさん被災された方々なのですが、震災後すぐから炊き出しや支援物資輸送、現在は多くの避難所の仮設トイレと風呂を作り、被災された方々の要望を聞いて、損壊した住宅の瓦礫撤去、床下の泥だしなどのボランティア活動をしている義援隊です。

 双葉町は被害も甚大で、テレビでよく知られている日本製紙工場がすぐ南に位置している場所です。周辺はもはや何もありません。すべて瓦礫だらけです。そこの中で唯一損壊していない製麺工場の内部と付属する住宅の庭の瓦礫撤去がこの日の作業です。震災一ヶ月が経ちますが、この周辺は手つかずな状態です。私の予想では自衛隊、地域消防団の方達が大勢で事を動かしてると思っていたのですが、まったく人がいません。見渡しても僕らと住人だけです。ここでの被災されたご主人いわく「それほど被災地が多く手がまわらないんだよ。ボランティアも少ないし、、なぜかボランティアを断ってるっていうし」。現状はまだこのような状態です。このご主人はこの二日間で身元不明の遺体を8体もみかけたらしいです。今日も遺体はでるとの事です。笑って言うご主人を前にただ頷くだけでした。身内をなくし友人をなくし、家が崩れ、仕事や希望も失う。復興の言葉は被災された方々にとって今希望を持てる言葉なのでしょうか?

     (詳細活動はhttp://zerocraft.com/others/540-2011-05-19-08-14-39.html こちらをご覧下さい)

     

       瓦礫撤去場所の様子                         浸水した事務所を借りて寝泊まりの様子

-4月19日 宮城県石巻市東中里周辺にて-

 家で車の洗車をしてる人がいる。コンビニもやっている。吉野家もやっている。スーパーもやっている。夕食の買い物に主婦が殺到している。横では炊き出しに並んでる人がいる。瓦礫を撤去している人がいる。行方を探してる看板がある。泥だらけの犬がいる。仰向けの車がある。遺体を探してる人がいる。日常の光景と津波による被害の光景のパラレルに見える風景。テレビチャンネルを切り替えたようにつながる風景。見た目でそこの人の想いは分からない。リアルでない。失われたモノ。

 こうして数日いると、石巻の地形により内陸地の被災状況を理解し始めてきました。市内の中心を旧北上川が流れていて、河口周辺は津波の流入により半壊滅状態です。沿岸部は全壊滅状態ですが起伏の多い石巻市では、石巻警察署付近などの高台はほぼ津波による被害はない状態です。車で移動していると、たった10m動くと天と地の印象です。50m先は全壊状態ですが手前では普通にコンビニが営業しているといった風景が続きます。この状態は津波独特なのでしょう。この日は元のチームに戻り東中里で住宅の畳下の泥出しです。古い建物も多く床下の束がながされている家が多くありました。

      

    津波時に避難先として逃げた高台                  高台から海側の様子

-4月19日 作業終了後、石巻市役所と石巻ボランティアセンターへ-

 活動の趣旨の報告と今後を意識して石巻市役所に訪れました。悪徳業者など怪しい人物が多く存在しているらしく、あまりご理解いただけない部分もありましたが商工管理部での担当者との話では、市役所もバックアップ体制をとっていただける話をいただきました。ただ相当な混乱状態が役所側にありますので、今すぐに何かできる事はないとの判断で終了でした。次に災害ボランティアセンターに現状のセンターの体制を聞きに伺いました。県外ボランティア規制などが現実におこっている事実は有り、管理する側の人材不足、行政からの指示の混乱などがボランティアの人達を管理しきれてない現状があるとの意見でした。もう勝手にやるしかないです。

-4月20日〜 宮城県石巻市から東松島市へ-

 宮城県に入って6日目、現実に起こっている事に理解というより多少の慣れがあるせいか目に見えるものがあまり気にならなくなってしまいました。ただ体だけは疲労困憊です。この日から以前参加した建築工房零義援隊に一人で合流し代表の小野氏とともに活動し始めました。小野氏は東松島にベースキャンプを設置しボランティアを受け入れています。職人さんは避難所に仮設風呂を設置しに、相変わらず役立たずな私はひたすら泥出しと瓦礫撤去です。

-4月21日〜 宮城県多賀城市にて-

 多賀城市は国の特別史跡に指定されている政庁跡がある地域です。ガス施設の火災もあり多くの犠牲を払ってしまった場所でもあります。中心部は津波の影響で建物の全壊はあまり見かけませんが、車、船の流入による2次災害が多く、水の引いた後は車と瓦礫の山です。この市域に住む住宅の床下泥出し、高圧洗浄を行ってきました。

    (詳細活動はhttp://zerocraft.com/others/540-2011-05-19-08-14-39.html こちらをご覧下さい。)

-4月23日〜 帰京、そして今現在

 仕事のため東京に帰ってきました。なんとしてもこの活動は断ち切れてはだめとの思いのなかの帰京です。被災後になにが失われたのか?復興は失われたものを形として蘇らせる事ではありません。それで町の復興はできても人の復興はできません。建築家としてどのように復興を考えるか?考えるところです。

 今後もこの活動を続けて行きます。今回、私は現場で支援活動をして感じましたが被災された方々は今すぐの生活しか考えられません。そこでの復旧工事などは、人々の心と体を少しでも回復してくれる重要な動きです。しかしあくまでもミクロ的な考え方ですから限界はありますし、計画という部分では不十分です。復興は長期的な視野を含め専門家たちが現場の声を聞き計画していくのが基本です。私が懸念しているのは、今の現状での活動者と長期の展望を唱えた計画を推進する専門家たちが、復興に一つに向かっているとしても相交わる事ない、今の日本の政治のやり方と同じで終わってしまうのは避けたいと考えています。私は建築家としてこの活動に参加する事が一つの架け橋となれば幸いです。

 今回ArchiAidの活動に建築設計に携わる者として賛同致しました。槻橋氏とのお話の中で「失われた街」のプロジェクトをお聞きしました。今復興を考える始めの基盤として、まさに重要なプロセスの一つとして素晴らしい考えです。失われたモノをきちんと受け止めてからのスタートです。

 6月に石巻、牡鹿半島と気仙沼に行き活動をする予定ですのでレポートもこの後も続けていきます。宜しくお願い致します。                   

                                              斉藤力

 

 最後に、多くのArchiAidに賛同した皆様にお願いがあります。現在ゴールデンウィークを過ぎボランティアが激減しています。そこでボランティアの募集しております。建築家の皆様、一般の皆様、専門家でなくても問題ありません。ご一緒にボランティアできる方を募集しています。一日でも大丈夫です。大学の先生方は生徒にも声をかけていただけないでしょうか?すでに私の母校である神奈川大学の震災支援室では学生を集める準備をしていただいています。もし可能でしたら下記のメールアドレスにご返信ください。詳細をお話致します。宜しくお願い致します。

saito@montanakogyo.jp 斉藤

今回の詳細活動はhttp://www.facebook.com/JishiShien?sk=wall高屋工務店高屋氏のFACEBOOK

http://zerocraft.com/others/540-2011-05-19-08-14-39.html 建築工房零のHPをご覧下さい。今もなお活動中です。



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2 Responses to 失われたモノがなにか、 、 。 震災後の現地での支援活動報告1

  1. 槻橋 修 says:

    斉藤力さん
    迫真に迫るレポート、どうもありがとうございました。斎藤さんご自身の自己紹介もされてはいかがでしょうか?略歴・HP等掲載していただければと思います。

    またボランティアの募集についてはBBSでもお声掛け下さい。

  2. 斉藤力 says:

    槻橋様
    コメントありがとうございます。
    自己紹介含め、ボランティア募集の件BBS、メールにて皆様に送ります。

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