せんだいデザインリーグだより
今回の被災地でもある仙台を拠点とするアーキエイド設立発起人メンバーからの復興だより。

地震発生後12時間 : 石田壽一

東北大青葉山キャンパスでの会議中に地震が発生した。Is値0.4前後の耐震改修以前の老朽建物であったせいか、これまでに経験したことがない強い揺れであった。長く続く振動に揺さぶられながら潜りこんだテーブルの眼前の壁にクラックが走り、ガラスが割れ始めたときは、一瞬「ダメかもしれない」と恐怖が脳裏をよぎった。揺れが収まり、頭を上げると、会議テーブルが四方に散乱している。幸い中央事務棟の被害は局所的であった。館内からの退避指示が出て、工学部中央広場に向かう。すでに大学関係者、学生が集まっている。全館退避の指示が出たようだ。何度となく地鳴りとともに大きな余震に襲われる。その都度悲鳴が上がる。まずは安否確認と指示があり、建築学科の建物に戻る。建築土木の教職員学生が9階建ての人間環境棟の前庭に集まっている。研究室関係者全員無事の点呼確認にホッとしたのも束の間、突如、吹雪に見舞われる。外気温零度に近い。寒空に上着も持たず脱兎のごとく脱出した挙句の吹雪。建物は危険で近寄れず、横殴りの吹雪に晒され路上に白柱となり立ち尽くす人々。泣きっ面に蜂というにはあまりに過酷な光景である。春休みで学生が少なかったことは、何より不幸中の幸いだった。ただ我々の研究室階の被害は予想以上に甚大だった。青葉山は仙台市街よりもだいぶ高台にある。工学部キャンパスは、見晴らしの良さとは裏返しに地震時に大きな加速度を受ける。今年創立60周年を迎える建築学科の建物は、78年の宮城県沖地震の最大加速度1200ガルを想定して耐震改修が施されていたが、今回のM9.0のエネルギーはその耐力を凌駕した。夕刻、災害対策本部が竣工目前の「あおば食堂」に設置された。最新の耐震設計が施され、見通しの良い大きな吹き抜け空間がシェルターに転用された。すでに、電気・ガス・水に加え、携帯やネット通信インフラも全く遮断された状態にあり、青葉山は丘の上の陸の孤島と化した。仙台港を10m超えの津波が襲ったらしい、女川原発が止まったらしい。俄に信じがたい断片的な情報がラジオとツイッター経由で耳に届く。事実なのか噂話なのか確認の方途はない。被災者には情報が正確に届かない。本当だった。「最悪の事態を想定して行動すること」なる防災の心得は、震源に近い被災者には無効である。いま何が起きて次にどうしたら良いかが分からない環境に直面する。結果、200名余りの被災学生とともに、ライフラインを失った青葉山で長いサバイバルが始まった。日没後の暗がりのなか、緊急地震速報の警戒音に慌てて石油ストーブを消し、絶え間なく襲う余震に怯えながら、全員が先の見えない一夜に突入した。翌朝、奇跡的に配達された新聞で仙台平野の甚大な被害の全容を確認した時の驚愕は、絶句の一語であった。自然の脅威の如何に酷いことか、人為の如何に儚いことか。本震から12時間後の正直な実感であった。

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